Quack Clinicへようこそ 巻の2

ノート3 藪医者に褒められてもうれしい

 翌朝、私は一限に遅刻しそうで、サボってしまおうかどうするか悩む時間帯に起きました。
 学校ではいつもルームメイトに起こしてもらっていたのですが、もうルームメイトはいません。
 私は朝寝坊のばつの悪さから、すっかり開き直り、のんびりと髪を梳いて、着替えて部屋を出ました。
 今日は父上殿のゲンコツの一発でもあるだろうという覚悟だけは一応しておきました。
 居間に入ると、朝食のにおいがしました。
 父上殿は朝食の途中でした。
「お、おはようございます」
「ああ、新聞取ってきてくれ」
 私は一瞬間抜けな顔をしてしまいました。
 少なくとも嫌味の一つでも言われるかと思っていたからです。
 私は不思議な感覚のまま、玄関へ行って新聞を取ってきました。
 そこで、あのおばあさんと鉢合わせました。
「なんだい、朝寝坊とは、藪医者のお嬢も偉いもんだね」
「あっ、スミマセン」
「医者が謝るな!」
「……」
 おばあさんは、不敵な笑みを残して去って行きました。
 とても腰が痛いとは思えない矍鑠とした歩き方でした。
 それを見送って、私は家に入りました。
「どうぞ」
「おお、悪いな。メシ食えよ」
 食卓には私の分の食事も用意されていました。
 最悪、朝食は抜きだと覚悟していたのですが、その覚悟はあっさりと杞憂に変わりました。
 父上殿は、一面の見出しに四月号と書かれた新聞を読みながら、なにやら難しい顔をしていました。
「今日の予定は手術が一件入ってる。おまえ、手伝えるか?」
 手術と聞いただけで、胃のあたりに嫌な感触を感じます。
 たとえ、簡単な手術でもやはり危険は伴うものです。
 このあたりは、もっと医学が充実していた頃から変わりありません。
「わかりました、お手伝いします」
「なーに、簡単な手術だ。ワシも最近、手先が不器用になったが、大丈夫だろう」
 とても不安な一言を聞いてしまったような気がします。
 医療従事者の不安は伝染性のウイルス疾患のように、患者さんに伝わってしまいます。
 患者さんはたいそう不安な顔、というか、もう真っ青な顔をしていました。
 しばらくはその顔が忘れられそうにありません。
 手術が始まって、患者さんはまるで悪夢にうなされているように、ウンウンとうなります。
 麻酔草のエキスを抽出したモノを飲ませているのですが、完全に意識を飛ばすほどの効果は期待できません。
 その昔、医療制度が崩壊したときに、もう医療では儲からないと考えた製薬会社が一斉に他の事業に転業しました。
 歴史的にはこれを医業転業と言います。
 ですから、医薬品の類はみんな医師の自家製が多いです。
「おい、ちょっと患者が暴れるから足を押さえてくれ!」
「はいっ」
 私は言われるがままに、ばたつく患者さんの足を押さえます。
「クソッ、はみ出してきやがった」
 えーっ? 何がですか? 私にはそれを目撃する勇気はありませんでした。
 その時、受付の方から声が聞こえてきました。
「おーい、奥さんが、もう産まれそうなんだ、助けてくれよ」
 産まれそう? 何が?
 私が混乱していると父上殿は言いました。
「おまえがやれ。今はおまえしかいない」
 な、なんと! しかし、驚いている暇もなく私の身体は動いていました。
 こんな小さな医院に分娩室なんてありませんので、とりあえず診察室のベッドに寝てもらいました。
 着衣が濡れていて、どうやらすでに破水しているようです。
「あー、もう、半分出てきているので、力を抜いてくださいね」
「……」
 私が声をかけると、球のような汗をかいた額が頷きました。
「すみませんけど、ちょっと台所でありったけお湯を沸かしてください」
 私は叫ぶようにして同伴してきた男の人に頼みました。
 それから先はよく覚えていません。
 真っ白な頭の中で、赤ちゃんの産声が響いていたような気がします。
 後産も上手くいきました。

 手術をした患者さんにも、子供が生まれた奥さんにも、いたく感謝されました。町内では藪医者だと呼ばれてはいますが、こういう時ばかりは鼻が高いです。
 特に――
「よくやったな」
 という、父上殿の言葉は嬉しかったです。そんなことを言うなんて滅多にあることではありませんから。

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