Quack Clinicへようこそ 巻の12

ノート30 首都は燃えているか?

 目が覚めたときには、初めてのはずなのに妙に懐かしい部屋のベッドで寝ていました。
 辺りを見回してみると、傍らに座る人がいました。
 その人は私が起きたことに気がつくと、ゆっくりと目を合わせてきました。
 その目は、私のことを知っている目でした。
 何か気まずくなって、咄嗟に目をそらすと、その人の頭の上には猫耳が生えていました。
 人、じゃない。
 私はほんの少しだけ、戸惑いました。
 といっても、コビットさんたちとかドラゴンとかを実際に見た私から言わせればそれは些細なことなのではないかと思いました。
「お腹、空かない?」
 私はこの人のことを、自分語で猫姉さんと呼ぶことにしました。
「いいえ、でも、よく分かりません」
「お嬢さんはここで三日も寝ていたのよ」
「ああ、スミマセン。お邪魔しました」
「いいのよ、立てる?」
「はい」
 猫姉さんは私を立たせると、姿見の前に連れて行きました。
 そうして、猫姉さんと私が姿見の中で並んで立っています。
「何か分かる?」
「何かって何ですか。あっ、私、寝癖ついてる」
「そう、いいのよ。そのままそこにいてね」
 猫姉さんは私の髪を慈しむようにブラッシングしてくれました。
 姿見の中で猫姉さんのしっぽが揺れていました。
 不思議なことに、そこに今は亡き母の面影を感じました。
 でも、母とは違うにおいがします。
 その後、猫姉さんの作った食事を食べました。
 食べてみて初めて自分が空腹だったことに気がつきました。
 そして、また、何か一つが満たされると、別のことにも思いが至りました。
「ここはどこですか?」
「ふふ、あなたはだあれ」
「私は私です」
「そうね、ここはあなたもよく知っている所よ」
「私の記憶にはありませんが」
「世界っていうのはそういうものよ。心配しないで、明日、街を案内するから」
 次の日、猫姉さんは帽子をかぶって、しっぽもスカートの中にしまっています。
 そういう姿を見ると、上品そうな婦人にしか見えません。
 色々なところを案内されました。
 猫姉さんの口から出る、地名はどこも私の記憶にある地名でしたが、地名と風景が全く一致しませんでした。
 街は清潔で活気に満ちあふれていました。
 それは、ちょうどコビットさんたちが作っている町並みのレベルに近かったです。
 とあるビルに案内されました。
 地価の高そうな所に贅沢に土地を使って建てられた、豪奢且つ実用的な建物でした。
 その最上階からの眺めは、どこまでも街が続いている、夢物語のようなものでした。
 猫姉さんは、そんな私を見て、言いました。
「どう? 気に入った」
「あの、ここは、本当に?」
「細かいことは気にしなくていいわ。さっそく本題に入らせてもらうわね」
「本題? 何のことですか」
「あなたがここに来ることは、すでに規定事項よ。たぶん、悪い結果にはならないから安心して」
「私に何かさせるつもりですか」
「一宿一飯の恩は返してもらうわよ」
 猫姉さんは、片耳をかしげてウインクしながら言いました。
「はあ、まあ、私にできることなら」
「戦争に勝ってもらいます」
「えっ?」
「あなたならできるわ」
「こんなに街が発展しているのに、平和ではないんですか」
「そんな初々しいところ、嫌いじゃないわ。でもね、平和は勝ち取るものなのよ」
「でも、私は従軍経験もありませんし。私にはお手伝いできかねます」
「この戦争の勝因はお嬢さんということになっているわ」
「私にはそんな英雄的な才能はないかと」
「そうでもないわよ。ちょっとした物語の主人公ならできるぐらいの能力は持っているはずよ」
「確かに、毎回珍妙な事件には巻き込まれますが」
「その珍妙な事件って、普通の人にとっては死亡フラグよ。あなたはそれを乗り越えてきたじゃない」
「それでも、あまり自信がありませんが」
「この国の勝利の女神になって頂戴」
「はあ」
「気のない返事ね。でも、いいわ。開戦までもうしばらく時間があるから、あなたは軍隊を作ってね」
「軍隊? って、この国の軍隊はどうしたんですか」
「あるわよ。自衛のための最小限の軍隊なら。でも、全面戦争となると別ね」
「お姉さん。悪質な冗談はやめてください。今までこの国は何をやってきたのですか」
「それどころじゃなかった。としか言いようがないわね。ここまで復興するのは大変だったのよ」
「じゃあ、和平交渉で、外交で乗り切る方法とかないんですか」
「それも、まもなく決裂することになっているわ」
「どうしても、戦うというのですね」
「その代わり、といってはナンだけど。開戦まで時間があるから、あなたの仕事さえキッチリやってくれたら、ここで勉強していってもいいのよ」
 確かに、こんな大都市で学べる機会なんてそうそうないのかもしれません。
 それにしても、目が覚めたらよく分からないところにいて、いきなり戦争しろなんて言われると、普通の女の子なら泣き出してしまうか、卒倒してしまうでしょう。
 そういう意味では、私もずいぶん耐性がついたなと思いました。
 少しも驚かない自分に、むしろびっくりしています。
 私は、猫姉さんに頼んで隣国の情報を取り寄せました。
 ここ二十年余りで急成長を遂げ、機械の軍隊を編成することに成功したようです。
 対する、私のいる国では、実力はあるかもしれませんが、かつての活力はないということでした。
 機械の軍隊と戦うなら、白兵戦は避けたいところです。
 しかし、隣国を沈黙させるほどの軍事力はこの国にありません。
 ちょっと暴れるとしても三ヶ月から六ヶ月もてばいいといったところでしょう。
 そういえば、なぜこの国が戦わねばならないのでしょう。
 その理由をまだ私は知りませんでした。
 猫姉さんに問うと、それを知ったらあなたは戦う気になるのかしらと言われました。
 そう言われてみると、あんまり自信がありません。
 それでも、私だってできれば正義の御旗の下とか、皇国の興廃のためにとかそういう命燃やせるような理由で戦ってみたいものです。
「隣国には重要人物が捕らえられているの」
「それはどんな人物なのですか」
「それは言えないけど、重要な人物よ。もちろん、あなたにも関わることよ」
「捕虜奪還が目的というわけですか」
「あまり時間がないわ、彼は隣国で処刑されることになっているから」
「それなら、誰かを救出に向かわせるというのではダメなのですか」
「それができるなら、とっくにやっているし。もし失敗したら最悪ね。彼の死を早めるわ。それに」
 と言って、猫姉さんは耳をピンと立てました。
「これからすることは、あなたにしかできない、あなたとみんなのためになることなのよ」
「……」
「それを知るのはずっと後のことだけどね」
 猫姉さんの話は意味深長すぎて私には理解できませんでした。
 一宿一飯の恩がどれほどの重要性を持っているのか分かりませんが、私に与えられたことならやってみるのも悪くないと思いました。
 もともと、そんなに思い詰める方でもないし、今までもそれで何とかやってきたのですから。
 開戦までの間、私はこの国で見聞を広めました。
 そもそも、私の知っている国という概念では考えられないものになっていました。
 なにしろ、軍隊すら民間警備会社の組合が運営しているのです。
 人々は健康で文化的な最低限度の生活を民間会社の組合に保証されています。
 そのかわり、健康ならば死ぬまで仕事があります。
 ピンピンコロリが当たり前の社会がそこにはありました。
 きっと、労働人口の増加が経済発展をもたらしたのでしょう。
 私がいるのはパラレルワールドで、コレはきっと、人類がたどる別の可能性なのかもしれないと思いました。
 ただ、どうして私がここにいるのかということがいまいち分かりません。
 不思議なことに分からなくても害はない気がする、妙な安心感があるだけでした。
 さてさて、そうですね、軍隊を作らねばなりませんね。
 ここは一つ、あの方たちの力を借りるべきなんでしょうね。
 私はスカートのポケットに指を滑り込ませました。
 笑顔のお守りを私はかざしました。
――我に力を!
「じゃぱーん」
 コビットさんが現れました。
 そんな行動を何回か繰り返すと、小さな司令部ができました。
「さあ、コビットの皆さん、戦争ですよ」
 私は彼らに高らかに宣言しました。
「紛争の解決手段に戦争を用いるのでありますか?」
「ノートを突きつけられたのでは?」
「一億総玉砕ですか?」
「靖国で再会するのでありますね」
 コビットさんたちも、ちょっと混乱気味ですね。
「まあ、とにかく勝てばいいんですよ、皆さん気楽にいきましょう」
 もちろん気楽になんて構えていられないのですが、皆の士気を保つのも上に立つ者の役目かと思いました。
「核を打ち込めば良いのでは?」
「太った男や小さな男の子を製造するであります」
「今こそ核武装を!」
「何のために原子力予算に五千億も費やしたのでありましょう」
 なんだか、イケナイ議論になってきてしまいました。
「ちょっと、皆さん。核なんか使ったらメッですよ。それから、地雷や大量虐殺兵器もダメです」
 一応、口を酸っぱくして言っておかないと、軍部の暴走はコワイですからね。
「はぁー、ジェノサイド無しでありますか」
「民意的にはアリなのでは?」
「むしろ、補償と謝罪をしたら許されるのでは?」
 何となく、士気が下がりましたね。
 開戦前にこのような状況では、勝敗に関わります。
 何かコビットさんたちを奮闘させるようなサプライズを用意しなければなりませんね。
「分かりました、皆さんの中で最大の戦果を上げた人と合体してさしあげます」
 言い過ぎかな、言い過ぎたなという後悔がありました。

【合体】
☆一般的には、男女間の性交のこと。
☆釣りバカ的には、みち子さんとの××のこと。
☆コビット族的には、融合して他族の力を得ること。
(用例)あのコビットは――してニンゲンみたいになってしまった。

「おお、合体とは雅な響きであります」
「ありがたき幸せに存じます」
「ビバ、合体」
 そんな感じで、合体の一言はバッチリ戦意高揚に寄与しました。

 まずは兵器や装備を作ることになりました。
 その辺は、コビットさんたちにぬかりなく、さすがはコビット族というか何というか、短期間によくもまあこれだけという、生産能力でした。
 ある程度、準備が整ったところで、隣国へ航空偵察部隊を派遣しました。
 私は後方で指揮を執っていたのですが、機械の軍隊恐るべしでした。
 何しろ、相手の航空機には人が乗っていませんので、どんな高機動飛行でも可能です。
 ひねりこみどころの騒ぎではありません。
 アレでは全機エースパイロットが乗っているのと同じです。
 なかなかに強敵なようです。
 では、陸からということで、戦車部隊を派遣しましたが、国境側の警備が厳しく、また無人兵器がうじゃうじゃと出てきて、結局あまり上手くいきません。
 海の方はもっと酷いです。
 全て自動化された潜水艦が魚雷を携えて待ち構えています。
 対するコビット族も奮戦しますが、最終的には潜水艦ごと相手が突っ込んできて自爆という攻撃にはさすがのコビット族も手を焼きました。
 追い詰められたコビットの艦長が有人魚雷を提案したところで私はNOを突きつけました。
 そんなことをさせるわけにはいきません。
 どうしたものでしょうね。
 そんなことを考えているうちに、コビットさんたちの作る兵器の性能も上がり、かなり戦えるようになりました。
 しかし、敵もあっぱれというか、毎回のように新型の無人兵器が確認されるようになりました。
 この時、私はちょっとおかしいなと思いました。
 もしも、相手が勝つことだけを考えているのなら、ミサイルの一発でも飛んできておかしくないわけです。
 隣国はそれだけの力を持っていると私は見ています。
 血の通わない機械の軍隊になぜか人間味というものがあるようなそんな気がしてならなかったのです。
 それは、とても不思議な感覚でした。
 私は司令室の中でのんびりと紅茶を楽しみました。
 こういうときは焦っても仕方がありません。
 そこへ、コビット少佐が飛び込んできました。
「いらっしゃい、どうぞおかけになって。今紅茶を」
「失礼します」
 私は少佐に紅茶を振る舞いました。
 少佐には諜報活動をやってもらっています。
「それで、今回はどんな?」
「はっ。敵の停戦コードを発見しました」
 このことは、我が軍にとって最高の利益をもたらしました。
 やはり、情報は最大の武器ですね。
 この、停戦コードの発見と終戦とは、ほとんど日にちが空いていません。
 無力化された機械の軍隊は、使う人のいないただの武器に過ぎません。
 私たちは悠々と隣国を制圧することに成功しました。

ノート31 賢者の書とラベンダーの香り

 隣国の指導者と会う機会を設けられました。
 その姿は、まさに深窓のご令嬢という雰囲気でした。
 ちょっとそういうのに憧れるのですが、まあ、私とは正反対な身分の方ですね。
「なぜ、私たちがここに来たのか分かりますね」
「はい、しかし、あの男は本当に危険なのです」
「しかし、この戦争の目的が彼である以上、引き渡しに同意してもらいます」
「わかりました、くれぐれもご注意ください」
 そうして、奥の方から仕立ての良い服を着た老人が出てきました。
 どこから見ても好々爺で、とても人に害を及ぼすとは思えません。
 老人は同席していた士官に保護されました。
「それから、貴女に聞きたいことがあります」
「何か?」
「どうして、ミサイルの一発でも撃ち込んでこなかったのですか?」
「これは、私にとってはやむを得ない戦争でした。相手を憎んでいないのに殺し合うのはおかしいのではありませんか」
「例え利害が一致しなくても、いいえむしろ守りたいものがあったとしても、殺し合うべきではないと、考えていらっしゃるのですね」
 私の言葉はある種の確認だったのかもしれません。
「私は世界の平和を願っています」
 隣国の指導者はどうやら人格者のようです。
 この人の身分が脅かされないように、少し手回しをしておこうと思いました。

 猫姉さんの国へ帰ると、たいそうな歓迎ぶりでした。
 私とコビット少佐は英雄扱いされているようです。
 なんだか、偉い人から勲章をもらったりしました。
 そして、しばらくしてあの老人とも会いました。
 とても、この人が重要人物とは思えません。
「こんにちは、おじいさん」
「君はまだ紅茶を好んで飲んでいるようだね」
 私は少し驚き戸惑いました。
 初対面、のはずですが。
「とにかく、解放されて良かったですね」
「ひとまず、ありがとうと言わせておくれ。まあ、お礼の品と言ってはナンだが」
 老人はボロボロのノートを私に渡してくれました。
「あの、コレは?」
「賢者の書、ですよ」
「はあ……?」
「あの時、ラベンダーで酔った君も見てみたかったがね」
 よく分かりませんが、老人は何がおかしいのか高笑いして去って行きました。
 ボロボロのノートにはどこかで見覚えのある字でアルラウネの正しい使用法が書かれていました。
 正真正銘の万能薬の作り方?
 なんだかとても懐かしい気がしました。
「さあ、あなたはもう一度飛ぶのよ」
 猫姉さんはそう言って私に何かをシュッと吹き付けました。
 ラベンダーの香り?
 違う。
 いや、そんな気がするだけかも。
 私の世界は暗転し、一切の色を失いました。

 再び、世界が戻ってきたとき、私はそこに立っていました。
 周囲を調べると急な斜面と、一歩足を踏み外したら危ない崖がありました。
 私はこの場所を知っています。
 よく考えてみれば、全てはここから始まったのでした。
 薬草の密生地でもある窪地に私はまた立っていたのです。
 あの場所に目をやるとそこには何もありませんでした。
 アルラウネがあったこの場所。
 アルラウネとの初めての出会い。
 私の中で、色々な感情が夏の盛りの虫のようにうごめきます。
 急に母の名前が脳裏に浮かびました。
「おかーさーん」
 私は太陽に向かって叫び、青い空の光に照らされました。
 私はそこで何をすればいいのか、天啓を受けたような気がしました。
 ポケットにある笑顔のお守りを取り出して、私はあの日アルラウネがあったその場所にそっと埋めました。
 これで、再び世界が回る。
 そんな気がしました。
 そして、私は突然の霹靂にうたれて飛びました。

ノート32 あの日の私が私を訪ねてくるその日まで

 一瞬の暗転の後、私はJの研究室に立っていました。
「目の焦点が合っていないようだが、どうかな。もう酔いが回ってしまったかな」
 Jさんの声があの老人の声と重なって聞こえたような気がしました。
「あの、私は?」
「研究室の計測機器によると、ほんの一瞬だけ君はこの世界に存在しなかったようだが」
 私は手に持っている賢者の書に視線を落としました。
「なるほど、それが君の収穫物だったようだね」
「私、コレでやっとみんなが救えるような気がします」
「それは結構だが、独り占めしないで僕にも教えてくれよ」
「時と場合によりますね」
「その答えは、まことに君らしい。向こうで何を見た?」
「今はそんなことよりも早く研究を再開してください」
「そうか? まだ君の酔っ払ったところを見ていないんだが」
「悪趣味ですね」
 そう言って私とJさんは笑いました。

 それから……。
 私は目まぐるしく働きました。
 私が働くことで、助かる命が増えているという実感がありました。
 ノートに書いてあった、不活性化ショロポンで病気に対する安全なワクチンを作ることができました。
 そして、多くの人の健康を守るため、健康保険組合を組織しました。
 それは、簡単なことではなかったのですが、私のゴリ押しと、ショロポン社の急成長に後押しされ何とか軌道に乗せることができました。
 人口減少という病魔に冒されていたこの世界が少しずつ回復しているような気がしました。
 私の会社も時価総額世界一になりました。
 私は自分のオフィスから下界を見下ろします。
 摩天楼というのが今でもあったら、それはきっとバラ色に違いありません。

 忙しい仕事から解放され、久しぶりに家に帰ってみると、父上殿が渋い顔をしています。
 最近、帰っていなかったから、機嫌が悪いのかもと思ってそっとしておくことにしました。
 自室に入ると、そこにはコビットの王様が待ち構えていました。
「おお、お嬢さんお待ちしておりましたぞ」
 待たれる理由が分かりません。
 ひょっとしたらまた、宇宙の彼方へ拉致されるかもしれません。
 私もそう度々色々やられてはたまらないので、ちょっと身構えました。
 しかし、身構えた意味も無く私は呆気なく拉致されました。

「誇り高きコビットの門出に乾杯!」
 王様が音頭を取って、皆で祝っています。
 何を祝っているのか、私も最初は分からなかったのですが、だんだん全容が明らかになってきました。
「人間の方と合体できるなんて光栄の極みです」
 少佐さんが言います。
 確かに戦果を上げた人と合体と言ったかもしれません。
 でも、それとコレとは違います。
 嫌な汗が噴き出てきました。
 後ずさるとコツンと肘がぶつかりました。
 白い布をかぶったそれは、まさにあの合体装置でした。
「ひぃっ」
 私も思わず声が出てしまいます。
「お嬢さん、どうしましたか? 顔色が悪いですよ」
 姫が心配そうに私の手を取ります。
 私がワナワナと震えているのを見て、姫が抱きしめてくれました。
「大丈夫、大丈夫」
「そんなこと言うなら、あっ、そうだ。姫が合体してあげてくださいよ。その方が少佐も喜ぶと思いますし」
「ダメよ。コビット族に恥をかかせないであげてね」
 くおっ、ダメだ、私、もう。
「待ち給え君たち」
 急にJさんが登場しました。
「どうしたJ君、今はめでたい門出の最中だ」
 王様がJさんを止めます。
「だからこそ、だからこそ、なんですよ」
「どういう意味だね。J君」
「僕はついに死なない薬を開発することに成功したんです」
 おお、というどよめきが起こりました。
「それでJ君、それはどこに?」
「今からご覧に入れます。そして、僕が今この場で不老長寿になって薬の効果を証明してご覧に入れます」
 Jさんは少し興奮しているようです。
 いつもよりも軽い感じにさらに輪をかけて軽いです。
 まあ、元々軽薄な人だとは思いますが。
「J君、その死なない薬は安全なのかね」
「当然です、何しろコレはっ……、いえ、何でもないです。とにかく使ってみましょう」
 嫌な予感がします。
 たぶん、あのノートを見て作ったのでしょうが、あれも万全ではないような気がしますし。
 Jさんは、助手のコビットさんから小さな薬瓶を受け取って、皆の前で一気にあおりました。
 Jさんぐらいになると、毒を食らわば皿までということになりましょうか。
 このまま、即死したら面白いのにと私は不謹慎なことを考えていました。
「うっ!」
 なんだか、Jさんがおかしいです。
 みるみるうちにおじいさんになってしまいました。
「こ、これは?」
「どうやら、死なない薬でも、若さは保てないらしいの」
「そ、そんなバカな。アレは完璧だったはず」
「ちょっと拝見しますね」
 私は薬瓶に残ったわずかな香りを嗅ぎました。
「うーん、これでは確かにそんな結果になるかもしれませんね。この薬には改善できそうなところがいくつもありますよ」
「くっ、僕はどうすれば?」
「そのまま、おじいさんでいいんじゃないですか。特に不自由はないんでしょ?」
「君は液体窒素のように冷たいね」
「体が凍ってバラバラにならなかっただけでもいいじゃないですか」
 というか、Jさんがあの時異世界で会った老人そっくりでした。
「まっ、自業自得じゃの」
「王様!」
 Jさんは懇願するよな顔で王様を見ましたが、すでに王様はJさんに対する興味を失っていたようです。
「さあ、皆の者、儀式の続きを」
 王様の鶴の一声で私はあっという間に、合体装置のシリンダーの中に放り込まれてしまいました。
 Jさんの騒ぎで私のことを忘れてくれるかなとささやかな期待をしていたのですが、それは儚い願いでした。
 徐々にシリンダーが液体で満たされ、私の意識は混濁していきました。
 そして、私はついにコビット少佐と合体してしまいました。
 新しい英雄の誕生だと皆に喜ばれましたが私はちっとも嬉しくありません。
 宴が終わって、皆が三々五々帰っていきました。
 私は寝室の姿見に自分の姿を映してみました。
 一瞬、そこに猫姉さんが立っているように錯覚しました。
 今の私には、猫耳としっぽが生えています。
 ついに、私は人間ではなくなってしまいました。
 翌日、自宅に戻ると、父上殿は私の姿を見て、盛大にため息をつきました。
 呆れられるのも当然かと思いました。
 もう一度、自室の鏡で自分を見てみます。
 でも、と私は思いました。
 合体が失敗して、最悪の事態になって、スライムみたいになってしまわなくて良かったのかもしれないと思いました。
 そんなことになったら、泣くに泣けません。
 ひとまず、耳は帽子で、しっぽはスカートの中に隠して生活することになりました。
 鏡で自分の姿を見る度に、こんなことを考えるのはおかしいのですが、なにか自分に娘がいるようなそんな気分になるのでした。

 日曜日、私はお気に入りの帽子とともにお出かけの準備をしました。
 別に目的地があるわけではありませんが、当てもなく出かけるのも悪いものではありません。
 すると、家の前で車の止まる音がしました。
 中から覗いてみると、小さなオンボロトラックに、これまた安っぽいスーツを着た男が、その辺で摘んできたような花を抱えて降りてきました。
 アレは間違いなく、許嫁さんです。
 それにしても、いつの間にかずいぶん貧乏くさくなっています。
「やあ、フロイライン。ご機嫌麗しゅう」
「どうしたんですか? 何かありましたか」
「いや、なに。その。商売がちょっと上手くいかなくてね」
「はあ、そうですか」
「君の会社の株だって買おうと思っているんだよ」
「気が向いたら買ってくださって結構ですよ」
「いや、急に株価が高騰したから、今の僕では……」
 なるほど、そういえば、コビットさんに許嫁さんの商売を邪魔するように言った気がします。そしてまた、止めろとお願いしていなかったと思います。
「でも、僕はまだ君と結婚することを諦めたわけじゃない。必ず迎えに来るから、その時まで」
「分かりました、でも、私はもう」
 その時、急な突風が私の帽子を吹き飛ばしました。
 露わになった猫耳に許嫁さんの視線が注がれます。
「こ、これは?」
「ごめんなさい、私」
「これは萌では?」
「はぁ?」
「いや、僕はますます君が気に入りました」
「そういうものですか」
「どうです、一緒に苦労をともにしませんか」
 私は思わずクスリと笑いました。
 なんだか、少しだけ許嫁さんが好きになれたような気がしました。
「考えておきます、株式売買の件もありますし」
「わかりました、いつか必ず、君の会社の株を買います。そして、ついでに君まで買い占めてしまおう」
「そうなったらいいですね」
 許嫁さんは私に花を押しつけて帰っていきました。
 野に咲く花の香りがしました。
 ただのお金持ちよりも、貧乏な許嫁さんの方が好感が持てるのはなぜでしょうね。
 私は、コビットさんに頼んで、許嫁さんの商売を邪魔しないようにお願いしました。
 これでまた、許嫁さんの商売もそこそこ上手くいくでしょう。

 そして、私は密かに不老長寿の薬の研究をしました。
 あの、賢者の書に書かれていた通りに作ると、Jさんのような末路になりかねませんので、その辺は慎重に作りました。
 完成した不老長寿の薬を私は秘密にすることにしました。
 こんなモノがあっては世界の混乱の元になるでしょうから。
 ただし、その製法を後世に伝えるため、私自身が生き証人になることにしました。
 真新しいノートにアルラウネの使い方について記しました。
 いつかコレが賢者の書と呼ばれるその日まで。
 いつか、あの日の私が私を訪ねてくるその日まで。
 ずっと、待ち続けるために、私は不老長寿の猫姉さんとなりました。

 Jさん? あの人は全然懲りてませんね。
 なにやら色々と画策しているようです。
 でも、それはまた、別のお話。

 これで私の話は終わりです。
 では、皆さん、またの機会にお会いしましょう。
 ごきげんよう。

おわり

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