Quack Clinicへようこそ 巻の9

ノート22 魚の釣れない釣竿

 しばらく順調な航海が続きました。
「いや、そろそろヤバイと思うんだよね」
「そうなんですか?」
 料理長さんがぼやいています。
「食事は一日五回って基本的には決まってるんだけどさ。みんな、好き勝手に食べまくるから、食材のストックがそろそろ尽きる頃なのさ」
「食糧問題ですか。深刻ですね」
「俺の口から言うのもナンだからさ、船長に一言伝えてくれないかな」
「いいですよ、分かりました」
 というわけで、料理長さんのお使いです。
「船長、かくかくしかじかなんです」
「分かりました。しかし、乗組員の食事を制限すると暴動が起きかねません。何とか対処しましょう」
 万能潜水艦しょうりゅうは浮上して早速対処に移りました。
「あの、これは?」
「コレは仙人の釣り竿です」
「釣り竿なのは分かるのですが」
「どうか、勇者様に大物を釣っていただきたく」
「いや、別に私じゃなくても」
「その釣り竿は、その昔、海竜を釣ったという伝説があります」
「ああ、またドラゴン系ですね」
「ドラゴンには勇者様がふさわしいかと。私たちでは力不足です」
「それなら、Jさんに」
「Jさんは、急にお腹が痛くなったとか」
 仮病だ。絶対仮病だ。
 しかたないですね。
 でも、見たところ普通の釣り竿のようですし、どんなに大物でも釣れるのはマグロぐらいでしょう。
「分かりました。餌はつけなくていいんですか」
「伝説によれば、つけなくても大丈夫だそうです」
 そうですか、なんか釣る気もないのに、ただ糸を垂れている仙人を思い出しますよ。
「それにしてもすごい大きさの釣り針ですね」
「ええ、大物狙いですから」
 釣り針があんまり大きいので、竿を振るということもできませんので、乗組員の皆さんに手伝ってもらって、釣り針を海中に沈めました。
 この釣り竿は現在の仕掛けの様子が分かるようにモニターが付いています。
 目の前に海中が映し出されます。
 それは釣り針が沈むとともに少しずつ暗くなっていきます。
 すると、何かが接近してきます。
「何かが近づいて来ましたけど」
「では、そのままアタリを待ちましょう」
 その何かはどんどん近づいて来て、だんだん大きさの全容が分かるようになりました。
 モニターで見る限りかなり大きいです。
 ただ、倍率がどうなっているのか分からないので、実際の大きさは分かりません。
 びくんと竿が引かれました。
「あの、なんか、食いついたみたいですけど」
「では、釣り上げてください」
 船長さんは、簡単に言ってくれます。
 でも、そんなに重たい手応えはないので、それほど大きくはないのでしょう。
 その辺りは安心できそうです。
 リールを巻いていくと次第に獲物の姿が海面に現れました。
「でかいぞ、捕鯨砲を用意しろ」
 捕鯨砲? もしかして、私が釣っているのって?
「お嬢さん、リールを巻いて下さい」
 なんだかとてつもないものを釣っているような気がして、手が止まってました。
 この仙人の釣り竿は、こんな大物をたやすく引き寄せます。
 近くまで引き寄せるとその巨大さがよく分かります。
 その頃になると、あとはコビットさんたちが、銛を使って勇敢に獲物に立ち向かいます。
 そこにはかつての人類の勇壮さがあったかもしれません。
 獲物は甲板には揚げられないので、ワイヤーで曳航しながら解体されることになりました。
 それは巨大な鯨の解体ショーでした。
「あの、あんまり鯨とかを捕獲するのは歴史的にタブーではないですか」
「こんなご時世です。大丈夫でしょう」
 そうでした、こんな時代でなければ、勝手に鯨なんて釣り上げられないと思いました。
「それにしても、この釣り竿はすごいですね」
「それも、王様のコレクションです」
 なるほど、それで、こんなに荒唐無稽な性能を発揮するわけですね。
 コビット族の皆さんはよく働きました。
 こうして、船の食料庫には大量の鯨肉が保管されることとなりました。
 それにしても、釣り上げた鯨の大きさよりも食料庫の方が小さいはずなんですが、すっかり納まってしまいました。
 なにか私たちには理解できないテクノロジーが使われているに違いありません。
 Jが部屋に引きこもっていたので、嫌味の一つでも言ってやろうと思って部屋を訪れました。
「私、鯨を釣らされちゃいましたよ」
「いいんじゃないか、捕鯨が伝統文化だった頃もあったんだし」
「倫理的に問題ありませんかね」
「捨てるところなく、残さず利用するんだろ? それなら他の動物の時と一緒だろう」
「捕鯨賛成派というわけですか」
「そうじゃない、人間は食べなければ死ぬ。それだけだ」
「ところで、お腹の調子はどうですか? 虫垂炎なら私が処置しましょうか」
「大丈夫だ。お嬢さんにやってもらうぐらいなら、自分でする」
「流石に自分では無理かと」
「鏡を使えばできる。僕は自分で自分の腹を切ったことがあるんだ」
「もう少し上手い嘘をつけばいいのに」
「傷跡を見ますか」
「いいえ、結構です」

ノート23 静かな冬を迎える動物たちのような……

 こうして私たちは捕鯨を繰り返しながら、南極へと向かいました。仙人の釣り竿はなぜか鯨しか釣れないのです。つれない奴、です。
 ある日、私は釣り竿に小さなつまみが付いているのを見つけました。
 何でしょう?
 何かの機能があるに違いありません。
 でも、いじるなら慎重にしなければなりません。
 私はマイナスドライバーでつまみを左に少し回しました。
 その後の釣りで分かったのですが、つまみを回せばそれだけ小型の獲物が釣れるようだということが分かりました。
 そういうわけで、獲物の釣り分けができるようになりました。
 マグロばかり釣って、船内でマグロ祭りをやったこともありました。
 このことは、船の食糧事情を大きく改善しました。
 さすがに、私も鯨肉ばかりには飽きてきたところです。
 鯨についてはその昔、色々あったらしいですが、多すぎれば飽きるし、少なければ渇望するのです。
 人の心は面白いものです。
 そして、海の幸ということに限っては、私たちは飽食の時代を迎えたのでした。
 そのうち、南極が近くなると、外で釣りをするという気候でもなくなってきたので、ありったけの蓄えをして、あとは、現場に到着するのを海の中で待つことにしました。
 ここで、お話には、少し断絶が生じます。
 私の記憶も曖昧で、日記にもめぼしいことは書いてありません。
 衣食住足りていて、ただ移動するだけという状況では、さほど特記すべきことも起こりません。
 いや、本当はあったのかもしれません。
 食料庫にあった、最後の牛肉ですき焼きをやったときに、みんなが船長の挨拶に耳を傾けているうちにJが少々生煮えのままの肉をすっかり食べてしまって、大ブーイングを受けたり。
 機関室で火災の誤報があって、みんなで避難したり。
 私の下着が盗まれたりしました。
 未だに犯人は分かりません。
 名探偵の登場を待とうと思います。
 まあ、多難災難に苦しみ、一難去ってまた一難てんこ盛りだったのかもしれません。
 だから、そんな日常に忙殺されていたような気がします。

ノート24 閉ざされし極地の筥

「前方に入り口を確認」
「了解、深度このまま、入り口に入る」
 私たちは、南極大陸の内側にあるという空洞の入り口にたどり着きました。
 入り口を入ってしばらくすると突き当たりました。
「上部に空洞があります」
「では、このまま垂直浮上」
 そこは、明らかに何者かの手によって港が作られていました。
「潜水艦専用の港ですか」
「それだけならいいんだが」
 Jが船を下りて隣に立ちます。
「それだけならって、どういう意味ですか」
「何かの警備システムが作動していたら、危険があるかもしれない」
「慎重に進めということですね」
「そうだ、青は進め、黄色は急げ、赤は突っ込めだ」
 この人の頭の中は、いつでもイケイケなのでしょうか。
 太陽の光が届かないのに、港は照明があって明るいです。
 照明は奥の方まで続いていきます。
 おそらくそちらの方に何かあるのでしょう。
 コビット族とJと私は慎重に奥へと進みます。
 壁を調べてみると、どうやら金属のようなものでできているのですが、どこにも継ぎ目がありません。
 不思議な場所でした。
 まもなく、巨大な壁の前にたどり着きました。
 壁の前には腰の高さぐらいの太い柱が立っていました。
 柱の上面には何かが書いてありますが読めません。
 コビット族の皆さんも読めないようです。
「こんなこともあろうかと、翻訳目薬を持ってきました。お嬢さん、どうぞお使い下さい」
 私は少し胡乱な表情を隠しながら笑顔で問いかけました。
「それは、安全ですか?」
「はい、ご心配なら、私が先に使ってご覧に入れます」
 そう言って、船長さんは目薬を使いました。
「おお、読めるぞ、私にも読める!」
 どうやら、目が潰れたりするような危険はないようですね。
「効果のほどは、わかりました。では、私も」
 そう言って、私は目薬をさしました。
 溢れた目薬を袖で拭うと、目薬をJに渡しました。
 私は柱の前に立ちました。
『選ばれし者よ、賢者の石で認証せよ』
 そう、書いてありました。どういう意味でしょうね。
 Jもそれを見て、やられた! という顔をしていました。
 コビット族の皆さんも、お通夜みたいな雰囲気になりました。
「どうして、みなさん、そんな?」
「分かってないな、賢者の石だぞ」
「それがどうかしましたか」
「世界中の人間が賢者の石を求めたがその所在は分かっていない」
「じゃあ、ここまで来たのは?」
「すべて無駄足だった」
「ドーム都市の時みたいに、偽造ナンチャラで何とかなりませんか」
「無理だろうね。賢者の石を見た者がいたという記録もない」
 その時、私のノート型モノリスが鳴動しました。
「何か、着信みたいですね。王様から?」
 私は「通話」をタッチしました。
『あー、もしもし。お嬢さんですか?』
「はい、今、南極にいます」
『そうであったか。そろそろ着く頃かと思ってな。電話じゃナンだから、今からそちらに行こうぞ』
「えっ? 行くって? ここに?」
 私の頭の上にはてなマークが三つぐらいつきました。
 そして、モノリスからニュッと王様が出てきました。
 びっくりしてモノリスを落としてしまいましたが王様はそのまま出てきました。
「どっこいしょっと」
「王様!」
 コビット族の皆さんがどよめきます。
「うむ、転送電話の調子はいいようであるな」
 このモノリスにそんなプチワープ機能が?
「王様、実は少々困ったことになりまして」
「おお、J君か、息災だったかね」
「実は、賢者の石とか言うのが必要になりまして。それで私たち立ち往生を」
「そうであったか。お嬢さん、笑顔のお守りをまだ持っていますか?」
「ええ、ここに」
 私はスカートのポケットから笑顔のお守りを出しました。
「笑顔のお守り。別名、賢者の石というものだ」
「こんな、石ころが賢者の石なのですか」
「見かけで判断してはいかんなぁ」
「それはスミマセンでした。じゃあ、コレがあれば?」
「うむ、問題、解☆決」
「でも、この柱の窪みと形が合いませんが」
「形など問題ではない。大切なのは愛なのだよ」
「はあ、よく分かったような、分からないような。とにかく、使ってみますね」
 私は、笑顔のお守りを柱の窪みにそっと置きました。
 それは、まるで生きているように窪みに合わせて形を変え、目映く蒼い光を発しました。
「美しい」
 Jは陶酔したような表情をしていました。
 確かにこのことは歴史的に大きなことかもしれません。
 私にその自覚はありませんが。
 こうして目の前の巨大な壁は跡形もなく消えました。その先にあったのは、また何かの入り口でした。
 モノリスの転送電話から次々とコビット族の皆さんが現れたので、この先の探索は全てお任せすることにしました。
 私は、入り口付近で、携帯コンロを使ってお湯を沸かし、紅茶を飲んでいます。
 いえ、決して手抜きではないんですよ。
 だって、紅茶の時間なんですもの。
 船長さんが私の方に歩いてきます。
 船長さんには、調査隊の隊長も兼任してもらうことになりました。
 だから、色々と大忙しのご様子です。
「興味深いモノを見つけたので、ご報告に上がりました」
「どんなモノですか?」
「それは、見ていただかないと何とも言えません」
「分かりました、では行きましょう」
 私は船長とともに入り口を入っていきました。
 途中までは道順が分かったのですが、だんだんあやふやになり、ついに迷子同然になりました。
 船長さんが案内してくれているから、何とかこの巨大な構造物の中で迷子にならずにすみます。
「こちらです、お嬢さん」
 そこは、巨大なシリンダーが並んだ部屋でした。
「ここは何をするところですか」
「解析の結果、なにやら『合体』ということができるらしいです」
「はあ」
「船長、某を実験台に使って下さい」
 二人のコビットさんが名乗り出ました。
「うむ、しかし、このシステムの説明によると、一度『合体』したら戻れないとあるが」
「問題ありません」
「望むところです」
 二人のコビットさんは真剣に訴えかけます。
「わかった、そうしよう」
 船長さんが了承します。
 二人のコビットさんがシリンダーの中に入っていきました。
 シリンダーは透明なので中がよく見えます。
 合体が始まりました。
 シリンダー内が液体で満たされ、コビットさんが消えました。
 しばらくすると、シリンダーに挟まれた円形の台の上に四つ足の生物が現れました。
「我はケルベロス、今後ともよろしく」
 なんだか、定型句っぽい台詞とともに、ケルベロスさんが登場しました。
 コビット×コビット→ケルベロス
 合体というのはそういうことのようですね。
「いかがでしょう、お嬢さん、コレを人間で試してみるというのは」
 危険な提案です。
「いえ、やめましょう。もうこの機器は使ってはいけません」
「そうですか、王様が興味をお持ちのようなんですが」
 王様が知っているのは厄介ですね。
 あの人は面白いことなら何でもやりそうですからね。
「Jさんは知っていますか」
「いいえ、まだです」
 まだ、チャンスはあるかと思いました。
「では、こうしましょう。この機械は壊れました。そういうことでどうですか」
「お嬢さんがそう仰るなら、そうしましょう」
 コビットさんたちなら、この機械も上手く使えるようになるとは思うのですが、掛け合わせを研究する度に御献体を求めるのは、倫理的に忍びないです。
 だから、使わない方が良いというのが私の結論です。
「失礼します」
「何かあったのか」
「この建造物の中央制御室らしきものを発見しました」
「お嬢さん、早速、行ってみますか?」
「ええ、そうですね、行ってみましょう」

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