【映画】君たちはどう生きるか【ジブリ】

終始「己を知りなさい」と言っている気がした

一番の悩みどころは、この映画をお勧めできるか、できないかというところだと思います。
はっきり言って、おすすめはできません。
ただし、見る価値はあると思います。
どういうことか?
つまり、自分の意志で見に行ってくださいということです。
見たいと思っていないのに、何かに流されて見ると、おそらく後悔するでしょう。
その理由は、この映画は、「己を知りなさい」と言っているように見えたからです。
少なくとも、私にはそう見えました。
そういう意味では、吉野源三郎著の「君たちはどう生きるか」というような良書と呼ばれる本と同様の効果をもたらす映画なのかもしれません。
この映画全体は、ずっと問いかけています。
その問いに、あなたはどう考え、どう生きるかという答え、今時点での答えに考えを巡らせてみるきっかけにはなるかと思います。

どこから来て、どこへ行くのか?

ちょっとネタバレになりますが、作中で主人公は戦争で東京から田舎に疎開するわけです。
疎開先で色々あって、時間軸が前後したり、母親や他の人との人生の交錯? というような描写があります。
色々あった後、どうなるかというと、戦争が終わって、東京に戻ることになります。
つまり、場所移動的に考えると、東京⇒疎開先⇒東京となります。
作中の疎開先での色々については、そこで生と死について、世界について、などのことを考察する時間が与えられます。
おそらくこれは、主人公に与えられた時間や機会であると同時に、映画を見ている客席のあなたにも与えられた時間なのだと思います。
その中で、どう思うか、考えるか、それは人それぞれです。
その時間や機会であっても、主人公にとっては、結局現実に戻ることになります。
客席のあなたも、上演時間の終わりとともに、日常生活に戻ることになります。
場所移動的にも、考察する時間についても、主人公が自分の思い通りにできたこと、というのはそれほど多くはありません。
場所移動で考えれば、それは世界の情勢に従ったものですし、考察する時間についても、その考察世界の終焉に伴って、元の現実に戻ることになります。
つまり、主人公本人の考えや行動が悉く評価されるほど、主人公本位で展開する映画ではない、ということです。
これって、私たちの人生も同じなのではないでしょうか?
私たちの生きている時代に従わざるを得ないところもあるでしょうし、考える時間も無限に与えられるものではありません。
必ずしも、私たち個人本位で展開する人生などないのでは? ということです。
だから、私たちがどこから来て、どこへ行くのかという問いには、答えを出す必要もないかもしれません。

今ここに在るということ

VUCAの時代とか、多様性がなんちゃらとか、さして目新しくもない現象にレッテルを付けて、元々分かり得ないことを、分からないので不安でしょう? とか、分からないはずなのに知っていると嘯いて売りにするとか、不要な不安と存在しない正解の押し売りにウンザリしている私がいる。
だからかもしれないが、この映画を見ている間は、楽しみにしていたキャラメルポップコーンとゼロカロリーコーラの食が進みました。映画を鑑賞したというよりは、景色を楽しみながらポップコーンとコーラで余暇を楽しむというような感覚だったかもしれません。
劇場を出た時には、お腹いっぱいでした。(いろんな意味で)
このブログもそうですが、コンテンツというもので、有用な情報を提供するということも大切かと思いますが、有用だからといって、必ずしも意味を成している必要もないのだなぁと思いました。
この映画を芸術だとか、アートだとか、という認識をすることも可能だと思います。
可能だというだけで、必須ではありません。
何と言ってもいいでしょうし、何も言わなくてもいいと思います。
分かってもいいし、分からなくてもいい。
ただ、確かに劇場では、この映画は私の目の前に在りましたし、私もそこに在りました。
この状態を映画以外で例えるなら、猫カフェに行った時に近いかなと思います。
そこに猫が在り、私もまたそこに在るのですニャー。
幸福追求の権利があるとか、そんな好戦的な構えではなく、今ここに在るというのが本質であり、それでいいんだなぁというひと時を感じた映画でした。

一本道の迷路を鑑賞し、己に問うてみる

迷うということは、しんどいことなのでしょうか?
それとも、何かを決めて一直線に突き進むことは勇ましいのでしょうか?
どちらでもいいし、なんでもアリだと思います。
逆に言えば、どちらも足りませんし、なんでもないのではと思います。
映画の話に戻ると、この映画は、自分の見たい何かをそこに見ればいい、というような感じかなと思います。
面白いことも、つまらないことも、分かることも、分からないことも、それぞれの観客の中にあって良いというような感じです。
恐らく、見る人や、見る時、などなど、その状況に応じた見え方があるのかなと思います。
そういう意味では、前の章で言ったように景色を眺めるに近いような気がします。
四季折々の景色を見るとか、枯山水庭園を見るとか、スイカ割りを楽しむとか、雪合戦を楽しむとか、何でもいいのですが、風情というか情緒というか、よくわかりませんが、そんな感じです。
自分自身も、それらに何を感じ、考え、行動するのか、なんて正確には分かりませんし、ましてや他人のことなんてと思います。
それでも、映画館という均一な場所で、ある種の景色を共有するということが、人々に何をもたらすのか、ということは個々がそれぞれに己に問うということで良いのだと思います。

今日はそんな感じでした。

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