Quack Clinicへようこそ 巻の1

ノート1 ささやかな特技

 私はかつて高速鉄道が走っていた線路を蒸気機関車で下っていきます。
 旧国民鉄道の路線はすっかりメンテナンスの恩恵から遠ざかっていて、うねるようにレールが続いていきます。
 そこを、クッションの悪い座席に乗り物酔いしながら、私は憂鬱な心を車窓の景色でどうにか紛らわそうとするのでした。
「すみません、いつ頃、着きますか」
「そうですね、半日も遅れていないと思うので、まもなくですよ」
「そうですか、ありがとう」
「恐れ入ります」
 気分の悪い心細さから、通りかかった車掌に声をかけてみるも、特に有益な情報は得られませんでした。
 それもそのはず、鉄道なんて、いつ到着するのか分からない乗り物なのです。
 一応、前に進んでいるはずなのでいつかは到着するのでしょう、しかし、気分の悪さで目を閉じるとなんだか逆走しているような錯覚があります。
 それは、なんとも居心地の悪い、不思議な世界でした。
『まもなく到着です。お忘れ物なさいませんようご注意ください』
 車内アナウンスが流れてから二十分ほど経ったでしょうか、それまで延々と続く森と雑木林が、慎ましやかな水田のある風景へと変わりました。
 汽車はゆっくりとコンクリートの脆くなったプラットホームへとゴトゴト進んで行きました。
 そこは、昔は屋根があったのか、骨組みの鉄骨だけがあばら骨のように張り出して、春のうららかな日差しをちっとも遮っていません。
 今となっては雨も風も危険もみんな素通しでしょう。
 迎えの来ていないことを確認して、私は歩き始めます。
 懐かしい道のはずなのですが、全寮制の学校へ行っている何年かの間に、ますます寂れたような感じがします。
 駅前の元総合ショッピングモールは、建物の上半分が駐車場になっていますが、すっかり崩落しています。
 それでも、私がこの町にいた頃は、住民の集会などに使われていたように記憶しています。
 確か、その時の集会の議題が、人口減少についてで、最終的に出てきたスローガンが「産めよ増やせよ」だったような気がします。
 しかし、かつての医療制度崩壊によって、乳児の死亡率も上昇し、たくさん産んでもなかなか育ってくれないというのが現実なのです。
 すっかり腐って脆くなった商店街の道を一本奥に入ったところに、私の実家があります。
 近づいてみると、家の傍らに設置されたマイクロ発電機が「ジー」という音を立てています。
 人の生活感が感じられるその建物に私は静かに帰っていきました。
 なにやら診察室で人がもめているような声が聞こえます。私はそっと開いているドアに近づきました。
「あんたの薬は効かないんだよ。私がこんなに苦しんでいるのに、あんたは効かない薬を出すだけで。死んだら末代まで呪ってやるわ」
「幽霊が怖くて医者なんかできないよ、呪いたきゃ呪えばいい。ばあさん、あんたの腰痛は年のせいだよ。特効薬なんてないんです!」
「もういいわ! 帰ってウイスキーでも飲んで、ラジオ聞きながら寝る!」
 おばあさんが振り返った先には私がいました。
「あの、どうも」
「なんだい、藪医者のお嬢か?」
「ああ、ちょうどいいところに来たな。早速仕事だ。これ、処方箋な」
 まったく、人使いが荒いというか、なんというか。久しぶりに帰ってきた娘に仕事をしろと言います。
 でも、忘れるものですか、父上殿というのはそういう人でした。
 私の行っていた学校というのは薬看学部で、医師がする仕事以外の補佐を全部ひっくるめたものが仕事なのです。
 ですから、薬の処方も私の仕事です。
 主な就職先では夜勤の仕事も多いので、響きが似ている夜間学部と揶揄されたりもしています。
 私はおばあさんを受付まで誘導して、薬を渡してあげます。
 どうやら、父上殿がすでに薬を用意していたようで、私はただ渡すだけでした。
 ところが、私の鼻が妙な違和感を感じます。
 私にはささやかな特技があって、においを嗅ぐだけで物の成分が分かってしまうのです。
 何となくおかしいなと思いながら、おばあさんに薬を渡しました。
 代金代わりの人参と大根と米を受付に置いておばあさんは帰って行きました。
「父上殿」
 私は診察室へ戻りました。少し疑問に思ったことがあったからです。
「なんだ、労働条件の交渉なら応じないぞ」
「いえ、あのおばあさんの薬、偽薬ですね」
「気付いたか」
「はい、なぜそんなことを」
「有効な治療法がないからな。手術という手もあるが、あのばあさんの歳じゃ難しいだろうな。今は愚痴を聞いてやるのがせめてもの治療ということになるか」
「でも、偽薬なら薬代をお返ししないと」
「いいんだよ、おまえもそのうち分かると思うがそういうものなんだ」
 私は父上殿が簡単に自分の考えを変えるような人ではないと思っていたので、私には私なりの考えがあったのですが、言わずにおきました。

ノート2 「この世界」における、お医者さんの現実。

 私が薬看学部へ入ったのは、一応は自分の意志でした。父上殿は医者の子供は医者にとは考えなかったようで、私を英才教育するでもなく、ごく普通に育てられました。
 ただ、子供時代の父上殿はとても厳しかった記憶があります。
 そのおかげか、多少の我慢強さを得ることに成功しました。
 そして、もう一つ、というかこれがメインなんですが、モラトリアムが欲しいというのが私の願いでした。
 早く教育を終えて、社会に出るという覚悟がなかったのです。
 だから、実家が医者をやっているし、就職先には困らないだろうと思って、進学を選んだということもあります。
 しかし、学部へ入学して見たのは、この世界がゆっくりと崩壊する様でした。
 古典文学に出てくる、合コンやメッシー君、アッシー君などもなく、また、人類の母数が減ることによってイケメンさんというものに出会い、夢見がちな乙女心をときめかせることなど全くの伝説と化していました。
 昔は医療職と言えば安定収入の源として、みんなが目指す職業だったのですが、今はその面影すらありません。
 すでに医学部というのはないのですが、私の卒業した学部ももうすぐなくなるという噂を聞きました。
 確かにそれは現実味のある話かもしれません。
 この世界でお医者さんになるには二つの方法があります。
 一つは、腕のいいお医者さんの弟子になって学ぶことです。
 もう一つは、独学で学び、自分は医者だと名乗れば良いです。
 昔は各国に医師国家試験というのがあったらしいのですが、それが国連主催に統合され、やがて国連とともに消えていきました。
 これだけのことが、短期間に起こったら一大事。
 大混乱の時代があったと思います。
 しかし、この変化は数百年の時をかけてゆっくりと人類に降りかかりました。
 今では小さな村社会を形成することで、その秩序を保っています。
 今、人類が生き残っているのは変化の振れ幅が人類の適応力を超えなかったからであると言われています。
 いずれにしても、私たちはこの世界で生きていくしかありません。

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