Quack Clinicへようこそ 巻の6

ノート11 万能薬に込めた祈り

 そして、夏が来て残暑を残して過ぎていきました。
 そんなある日、あのおばあさんが、病院に担ぎ込まれてきたのです。
 すでに虫の息でした。
「ショロポンは使いましたか」
「飲ませたんだけど、あんまり良くならないから、急いで病院に運んできたんです」
 おばあさんのご家族は狼狽しきった表情で私を見ました。
「わかりました、うちのベッドが空いていますのでそちらに移しましょう」
 私はご家族の協力を得て、おばあさんをベッドへ寝かせると、すぐに父上殿を呼びました。
 そして、一通り診察を済ませて、家族のいないところで父上殿から容態を聞きました。
「今夜が峠だな」
 それだけで全てが分かりました。
 私は、ショロポンの注射用をおばあさんの点滴のチューブから静注しました。
 万能薬の名に恥じない効果を上げて欲しいと願いました。
 夜半になって、付き添いのご家族が騒ぎ始めました。
「先生! ばあちゃんが息をしてないんだ」
 父上殿と私はすぐに、おばあさんの容態を確認しました。
 父上殿は無言で私に指示しました。
 おばあさんに心臓マッサージを施しました。
 十分経ち、二十分経ちました。
 もう一度、ショロポンをと思って手を止めたときに、父上殿の手が私の手に重ねられました。
 父上殿は小さく首を振りました。
 そして、時計を見て冷酷に告げました。
「一時十三分、ご臨終です」
 私の涙が重ねられた父上殿の手の上にポタポタとこぼれ落ちました。
 万能薬がありながら、私はおばあさんを助けられませんでした。
 自分の無力さに愕然としました。
 私はやっぱり、もう一度ショロポンをと思って、父上殿の手をふりほどきました。
「やめなさい、おばあさんは天寿を全うされたんだ」
 父上殿のその一言で、私は滂沱として、その場に崩れ落ちました。

ノート12 ダーク・ドクター J

 あれから、私は病院の受付で、ボーッと過ごすことが多かったと思います。
 嫌なばあさんが死んでせいせいしたという噂話にも、現実味が感じられず、本当は神経を逆なでされるようなことでも、どこか人ごとという無頓着な感情が私を支配していました。
 確かに、私だって、あのおばあさんが大好きだったとは言えません。
 それでも、目の前で死なれたらやはり何らかの情が動いてしまいます。
 あの時の、父上殿の冷酷な死の宣言が、未だに耳にこびりついています。
 私はあんなに冷静でいられる、父上殿に尊敬の念を抱かずにいられません。
 まだまだ未熟。それが、私の実力なのです。
 そんな、骨なしチキンのようにへなへなに脱力し、憶病風に吹かれた私を、父上殿は何らかの思案を持って見ていたようです。
 ある時、私にこんなことを言いました。
「どうだね、Jに会ってみては?」
 Jというのは、業界では有名な闇医者だそうです。
 藪医者ではなく、闇医者なのだと繰り返し父上殿は強調していました。
 聞くところによると相当腕が立つらしいです。
 それに、薬学にも明るいと聞かされました。
 ひょっとしたら、アルラウネの正しい使い方も知っているかもしれないということでした。
 ただでさえ、医者なんていうものが、胡散臭い職業になり果てた現在で、それよりももっとダークな雰囲気漂う闇医者というのですから、それはもうかなり未知の領域だと思います。
 父上殿の闇医者についての噂話は続きました。
 病気の治療をするかわりに、法外な料金を請求することがあるとか、顔には大きな傷があるのだとか、実は天才外科医なのだとか、そんな荒唐無稽な話でした。
 でも、闇医者を標榜する人物だったら、それぐらいやりかねないかもしれないなという予想も成り立つような気もしました。
 おそらく、人のそんな気分が、その闇医者のイメージをどんどんあらぬ方向へ導いたのではないでしょうか。
 Jという人物に会う方法は、呆気ないほど簡単でした。
 町にやってくる薬売りに「Jさんお仕事です」という手紙に連絡先を添えて、差し出すだけでした。
 早速、私は数日後に町にやってきた薬売りに手紙を託しました。
「これで届くんですか」
「Jは業界では有名人だからね。大丈夫、絶対届くよ」
「そうですか」
「ただ、ちょっと気まぐれだから、姿を現すかどうかは分からないらしいよ」
「それだと、ちょっと困るんですけど」
「まあ、お嬢さんみたいな人だったら、きっと会いに来るさ」
 薬売りはそんな言葉を残して、次の土地を目指して旅立ちました。

ノート13 秘密の交換条件

 私は藪医者の一員として、父上殿の元で働き続けました。
 自ら探せば仕事はいくらでもありました。
 だから、闇医者を待っているという自覚も、忙殺されていつの間にか消えていました。
 その日、薬草収集から帰ってきて、ずいぶん遅くなってしまいました。
 ちょっと、近道しようと思って、路地に入りました。
 町外れの旧市街はどれもコンクリートが朽ち果てていて、この世界の退廃のにおいを強烈に発していました。
「Freeze」
 聞き慣れない言葉とともに、私の背中に何かが押しつけられました。
 足を止めて、よく意味を考えます。「動くな」ということだとすぐに分かりました。
 応戦は分が悪いでしょう。
 例え、背中に押しつけられているモノが親指ぐらいの小さなナイフだとしても、私を行動不能に陥らせるぐらいの負傷を負わせることは十分可能です。
「Fool it care curse to became Ms. Note」
「……」
 私は必死に考えますが、意味が分かりません。こんなことなら、もっと語学を勉強しておけばと思いました。
 緊張で、背中がじっとりと発汗するのが分かります。
 私だって、こんなところで、死にたくありません。そうだ、金目のものがあれば許してもらえるかもしれません。
 ショロポン騒動の時にお布施でもらった金の指輪を差しだそうとしました。
 私はゆっくりと指から指輪を抜き取ろうとしました。
 しかし、今日は手が浮腫んでいるのか、全くびくともしません。
 あー、かみさま。私の命もここまでですか。
 一瞬、命乞いも考えましたが、言葉の通じない相手になんて言えば良いのでしょう。
 暖かな夕日が、私の頬を照らし、カラスが鳴きます。
 今は、牧歌的な風景の中に、殺伐とした現実がゴロリと転がっていました。
 絶体絶命というのはこういうことを言うのでしょう。
 もうダメだ、膝に力が入らず、跪いてしまう一歩手前でした。
 後ろから、ケラケラと笑う声が聞こえます。
 笑いながら、人を殺すなんて非道すぎます。
 非人道的な人に何を言っても無駄でしょう。
 私はここで死ぬ覚悟をしました。
「やあ、待った?」
 ん? 待ったって、何が?
「……」
「君でしょ、僕に手紙をくれたのは」
 言葉が通じることが分かって、恐る恐る後ろを振り返ってみました。
 そこには、短パンにアロハ姿の上から白衣を着た、割と整った顔の若い男が立っていました。そして、その手にはチョコバーが握られていました。
「食べる?」
「いいえ」
「はじめましてと言っておいた方がいいのかな」
「どちら様ですか?」
「失敬、僕がJですよ、お嬢さん」
「あなたが?」
「意外にも若いなと思ってらっしゃいますね」
「えっ? ええ」
「これから、あなたの家に伺おうと思っていたんですよ」
「そうですか、それにしても」
 私は背後から迫られて、死を覚悟するほどびっくりしたことを、この人に伝えるべきでしょうか。でも、もう細かい説明はしたくありません
「どうしました、お嬢さん?」
「悪趣味です」
 Jはニッコリと笑って言いました。「恐縮です」
 私とJは肩を並べて、私の家に向かって歩き始めました。
「それにしても」
「何です?」
「私の背中にかけた、謎の外国語の意味が分からなかったのですが」
「そんな些細なことが気になりますか」
 ええ、気になりますとも。気が遠くなるほど怖かったのですから。
「はい」
「アレは昔の俳句というやつを僕なりにアレンジしてみました」
「俳句ですか?」
「フルイケヤ カワズ トビコム ミズノオト」
「……」
「どうですか、こう言えば、何となく空耳で外国語っぽく言っているような気がしませんか」
「じゃあ、特に意味はないんですね」
「挨拶のようなものです」
「やっぱり、あなたは悪趣味ですね」
 特に案内はしていないのですが、Jは私の家をよく知っているかのような歩き方でした。家に着くと、勧めもしないのに、ズカズカと家に上がり込んで、空いている居間テーブルの席についてしまいました。
 Jは、すっかり、くつろいだ様子で足を組みました。
「君は紅茶を好んで飲んでいるようだね。どうだい、ひとつ僕にも振る舞ってはくれないかい?」
「どうせ、紅茶もご自分で淹れられるのではないですか」
「ヤカンを火にかけたけど、紅茶のありかが分からないとかね」
「分かりました。少々お待ちを」
 私はJに紅茶を淹れてあげました。ぞうきんの絞り汁は入っていません。そこまで陰湿ではないので。
 Jは紅茶を一口啜ると、まるで何もかもお見通しだという、したり顔をしました。
「それにしても、見事な藪医者だね。だが、今は借金はないようだ。慎ましい生活。母親は君が小さい頃に亡くなったらしい。そして、今君が一番気になるのはコレだろう」
 Jは持っていた小さな箱を開けました。
 そこにはミニサイズのアルラウネが入っていました。
「……」
「君もコレと同じモノを持っている。そして、君はアルラウネから薬を作った。ショロポン社を調べさせてもらったよ。実にいい会社だ。あんな低価格で万能薬を売っているのは残念だが」
「それが、私のポリシーだから」
「いい答えだね。経営には理念が必要だ」
「そんなことよりも、お聞かせ願いたいことがあります」
「僕もですよ。マドモアゼル」
 Jは飲み干した紅茶のカップをソーサーに静かに置くと、私の顔をまじまじと見ました。
「何ですか?」
「まず、君の質問を受け付けよう」
「万能薬の真実とは何ですか? あの化学構造の秘密をあなたは知っていますね」
「その秘密と、君の秘密を交換だ、と言ったら、君は頷いてくれるのかな」
「私に秘密なんて……」
「例えば、君のアルラウネに傷一つつけずにどうやってショロポンを合成したのか。それは……」
「ちょっと待ってください」
「ちょっと待ったコールですね」
「少し考えさせてくれませんか」
「いいですよ、ゆっくり考えるといい。君は大切な研究対象なのだから」
「私をどうするつもりですか」
「悪いようにはしない。これだけは信じてもらうしかないね」
「そうですか」
「僕の研究室の住所を教えておきましょう。気が向いたらそちらにいらしてください。ということでどうでしょう?」
「分かりました」
「では、僕はこれで」
 Jは立ち上がると、私に小さなお守りを渡してきました。「困ったらコレを使ってください」
 そして、そのまま、風が吹き抜けていくようにJは去って行きました。
 私の秘密と交換。悪いようにはしない。
 それは分かる。
 でも。
 と、躊躇う私がいる。

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