Quack Clinicへようこそ 巻の5

ノート8 フクザツな願望成就

 その日は天気雨が通り過ぎ、久しぶりのお湿りとなりました。
 私は相変わらず、受付で読書をしていました。
 すると、病院の前に一台の車が駐まりました。
 患者さんにしてはおかしいです。
 このあたりでいわゆる自動車というものに乗っている人なんていません。
 車から黒服の男が降りてきて私の方に向かってきます。
 私は本を閉じ、少し身構えました。
「院長はいらっしゃいますか」
 という、短い用件が伝えられました。
 父上殿は、黒服の男となにやら話しています。
 私のところまでは声が聞こえてこないので何のことか分かりません。
 何となく、話していた二人が短く合意したように感じました。
「おまえ、ちょっと許嫁のところに行ってくれ」
「許嫁? ああ、あの?」
「そうだ、どうも結婚の話が進んでいるらしい」
「はあ」
 今の私にとっては全く現実味のない話です。
 その昔、この病院が借金をしなければいけなくなったときに、とある名士にお金を借りたのです。
 その時の条件として、私を許嫁にするということが決まったそうです。
 そう、決まったそうです。
 それは、どこまでも伝聞調で、私の身に降りかかることとしては、あまりにも漠然としすぎているのです。
 でも、相手はお金持ちですから、上手くいけば玉の輿だって夢じゃありません。
 まあ、思いっきりそんな気分じゃありませんが。
 悪路でも大丈夫なように高い車高と大きなタイヤが特徴的な、いかにも燃費が悪そうな四駆に乗せられて私は一路、花嫁街道を進みます。
 ちなみに石油は四十五年で枯渇すると昔から言われていますが、今も四十五年分しか埋蔵量が確認されていません。
 大昔に国連が存在した頃に大規模な調査をしたところ、最低でも千年は大丈夫だろうという結論が出ました。
 石油メジャーは必死に否定しましたが、色々利権が絡んでいるので結局うやむやになったそうです。
 途中で居眠りしてしまったので、どのくらいだかは定かではありませんが、目の前に巨大なRC造の建築物が現れて、すっかり目が覚めました。
 そこの、地下駐車場に車は入っていきました。
 丁寧に出迎えられ、いかにもお金持ちという一室に通されました。壁から鹿の頭がニュッと生えていますし、毛並みのいい絨毯が敷き詰められています。
 十分ほど待つと、仕立てのいいスーツを着た青年が部屋に入ってきました。
「お久しぶりです。フロイライン」
 私はこの人のこのノリが大嫌いです。
「ご無沙汰しておりました。お元気ですか」
「この通り、健康そのものですよ」
「今日はどのようなご用件で?」
「その用件は後にしましょう。まず、病院の方をご案内します」
 そうして、私は巨大な病院内を案内されました。
 本当のお金持ちは、こうやって自前で病院を持っているのです。
 だから、医者にかかるということがありません。
 まさに健康を金で買っているのです。

 豪奢な入院施設。
 MRI。
 CTスキャン。
 清潔な手術室。

 どれもが、ロストテクノロジーの塊でした。
 行く手ですれ違う医師たちも、何というか腕が良さそうな雰囲気を醸し出していました。
 最後に案内されたのが、製薬プラントでした。
 ここでは、薬を合成することができるそうです。
 もしかして、これがあれば、私の作りたい薬が作れるかもしれません。
「あの、お願いがあるのですが」
「フロイライン、君のお願いならたやすいことですよ」
 私はアルラウネの薬効成分の化学式を許嫁さんに教えました。
 そして、決してそれでお金儲けをしないようにと釘を刺しました。
「なるほど、それでは、僕と改めて婚約してくれるかい」
「分かりました、します」
「なるほど、君は本気のようだ」
「何がですか?」
「そんな無粋なことは言わないよ」
 かっこつけやがってと腹の中で思いながら、ニコニコとスマイルしました。
「ところで、私に用事って、何だったんですか」
「もう済ませただろう。婚約」
「そうですか。では、私はそろそろ」
「フロイラインのお帰りだ、車を用意しろ」
 許嫁さんは近くの執事に命令すると、恭しくお辞儀をして私を見送ってくれました。
 家に帰って父上殿は私の顔を見ると
「嬉しいのか、嬉しくないのか、ハッキリしない顔だな」
 そう言って診察室へ戻りました。
 確かにそうかもしれません。
 薬が作れるという喜びもありましたが、婚約というのは重い話しでした。

ノート9 ありがとう。いい名前です?!

 受付で本を読む日が続きました。
 そろそろ、みんなが薬の効果に気がついて、『驚異の効果』とか『爆発的人気』とか『入荷未定商品です』とかいう反響があるのかなー、と思っていました。
 すると、また、病院の前に四駆が駐まって、中から黒服の男が出てきました。
 黒服の男の用事はまた一緒に来て欲しいというものでした。私は断る理由も、権限もありませんので、素直に首肯しました。
 また、あの大きくて立派な病院にやってきました。
 今度は許嫁さんが出迎えてくれました。
 そして、なぜか、倉庫に案内されました。
 そこにはごっちゃりと段ボールが大量に積まれていました。
「これが何か?」
「こちらに段ボールを」
 許嫁さんは執事に積み上がっている段ボールの一つを持ってこさせました。
「……」
「開けてくれ」
 執事さんが手際よく段ボールを開けます。そこにはキャラメルボックスぐらいの箱がびっしり入っていました。
「コレは何ですか」
「『万能薬 ショロポン』という薬だよ。君の薬だ」
「ああ、アレ。こんなに作ってくれたんですね」
「これは返品の山だけどね」
 返品? 返品っていうのは、売れなくて戻ってきたということですよね、普通は。
「売ったんですか。約束が違います」
「いや、誤解しないでくれ。これは無料頒布したのだが、余って返ってきてしまったんだ」
「そんな……。理由は何ですか?」
「こんな胡散臭い薬は使えないと言われたそうだ」
「でも、実際使ったら効果は分かるはずです」
「その通り、ウチの病院の医師も効果に驚いていた」
「じゃあ、なぜ?」
「現在の家庭常備薬の売れ筋は何だと思う?」
「さあ、市場の動向は詳しくありません」
「がまの油だよ」
「でも、がまの油は、その……」
「そうだね、医薬品を作る側から見ると効果はイマイチですね。でも、それが現実なんですよ」
「じゃあ、この『ショロポン』の誤解が解ければ、あるいは」
「いや、一度、すり込まれた医療への不信を覆すのは難しいね。ラジオでもコマーシャルを出しているけど、今やラジオが聴ける家も少ないでしょ。これを、医薬品として売るのはなかなか難しいです」
「ネーミングが悪いんじゃないですか?」
「そんな悲しいこと言わないでくれよ。ウチの企画部が考えたんだ。所労がポンと飛ぶからショロポン。いい名前じゃないか」
「はあ」
「しかし、困ったね。こんなに余ってしまって。ゴミにするのももったいないし」
「じゃあ、私に全部ください」
「君が持って帰るの? ウチの焼却施設を使えば一瞬で処分できますよ」
「いいんです。くれるんですか、くれないんですか?」
「分かりました。おい、運んで差し上げて」
 こうして、私は「万能薬 ショロポン」をトラックに積んでもらって家まで持って帰ってきました。
「うちは薬問屋じゃない」
 という、父上殿のお小言もありましたが、何とか家の中に収めることができました。私の部屋ももう段ボールでいっぱいです。
 さて、コレをどうするか……。

ノート10 万能薬のおまじない

「お邪魔します」
 私は住宅街でずいぶんと痩せてしまった初老の男性に話しかけました。
「ああ、藪医者さんのところのお嬢さんだね」
「お体の具合はどうですか」
「うーん、胃の調子が悪くてね、どうも食欲がないなぁ。でも、診察はいらないよ。医者には頼りたくないんだ」
「そうですね、分かります。どうですか、おまじないでもやってみませんか」
「おまじない、 それはどんな?」
「おじさん、几帳面なA型ですね」
「ほぉー、よく分かるね」
 私のささやかな特技が人の血液型をかぎ分けるのです。薬の成分を調べるのと同じ原理です。
「まあ、こういうのがおまじないの効果です」
「そうかー、じゃあ、ひとつ頼むよ」
「分かりました」

 ずんどこべっちゃ、ふんだかっだった、ドンドコドンドンドン
 ずんどこべっちゃ、ふんだかっだった、ドンドコドンドンドン
 ちぇすとぉー!

 私の奇妙な踊りに、男性はぽかんとしていました。
「最後にお清めの丸薬です。どうぞお召し上がりください」
「あ、ああ」
 お清めの丸薬というのが「万能薬 ショロポン」です。口腔内崩壊錠なので水なしで飲めます。
「どうですか、お体の具合は」
「うーん、そうだねぇ」
 男性は苦笑していましたが、まもなく、グゥーとお腹が鳴りました。
「おお、なんだか、無性に腹が減ったよ」
「そうですか、良かったですね」
「ありがとう、そのおまじない、すごいね」
「いえいえ、じゃあ、私はこれで」
 一回目の成功を体験すると、後は簡単でした。
「こんにちは、お体の具合はどうですか?」
 私は町中を歩いて回り、同じおまじないを繰り返しました。
 もちろん、あのおばあさんのところにも行きました。
「こんにちは、お体の具合はどうですか?」
「いらないよ!」
「いらないって、何ですか?」
「どうせ、くだらない、おまじないとかだろう」
 住民の口コミュニケーション恐るべし。もう噂になっているらしいです。
「でも、私のおまじないは効くんです」
「ふんっ、証拠でもあるのかい?」
「おばあさんは自由奔放なB型ですね」
「悪かったね! あたしがそんなに自由に生きているように見えるのかい」
「いや、そういうわけではなく」
「あんたのおまじないは私には効かないよ。現にこんなに気分が悪くなっちまった」
「とりあえず、お清めの丸薬だけでも」
「帰れ藪医者! 誰か塩持ってこい!」
 取り付く島もありませんでした。このおばあさんの信頼を勝ち取ることはなかなか難しいことのようです。

 おばあさんの信頼は得られなかったものの、町の住人の噂の種には十分なったようです。
 子供が風邪を引いたといって、おまじないを希望されるお母さんが来たり。
 先天性の心疾患の患者さんが駆け込んできたりしました。
 いつの間にか、噂が噂を呼び、うちの病院はおまじないの館と化してしまいました。
 遠方から訪れる患者さんも多くなりました。そして、いらないと言ってもお布施を強引に置いていく人が意外にも多く、金目のものの使い道に困りました。
 そしてまた、後悔していることがあります。
 なんで、最初にあんな恥ずかしい奇妙な踊りをしてしまったのかと思いました。
 私のところへ来る人々は、おまじないに効果があると思っているので、一日に何十回も、あの忌まわしき踊りを踊らねばなりません。
 この現実には、私は苦慮し、辟易していました。
 そんなある日、話題の人として、ラジオ番組に招待されました。
 そこで、私は、あのおまじないの一番重要なところは、踊りではなく丸薬なのですと言いました。
『遠方の方に朗報です。あの、おまじないの、お清めの丸薬が今ならお値打ち価格で、あなたの手元に届きます』
 などというような、メッセージを発信することに成功しました。
 リスナーはそれほど多くはないのでしょうが、口コミで話題を呼びました。
 こうして、私のところには、お清めの丸薬を求める手紙がかなり届くようになりました。
 そしてまた、幾ばくかの収入をもたらしたのです。
 本来なら無料配布でと思っていたので、収入があることはあまり好ましい事実ではありませんでした。
 その代わり、お布施や丸薬の収入で「ショロポン社」という小さな会社を立ち上げました。
 私は社長に就任し、そして有能な社員を見つけるとすぐに社長の座を譲り渡し、会長職に就きました。こうなれば、もう私抜きで会社は回っていきます。
 ショロポン、もとい、アルラウネの万能薬はこうして庶民の手に広く渡るようになりました。
 それこそ私の望んでいたことでした。
 人口に膾炙することによって、今では胡散臭い薬と言われることはなくなりました。
 そして、多くの人の健康に寄与したのです。
 ただ、今でも、あの踊りがトレードマークである、ということは一生の汚点になりそうです。

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